ゆきぶろ

おひとりさまアラサー派遣の日常

派遣社員、副業バイト始めました

こんにちは、MIYUKIです。

私は現在、派遣社員として働いている32歳独身である。

 

これまで新卒正社員、フルタイムパート、単発派遣(日雇い)など色々な場所で働き低空飛行で生きてきた私だが今の派遣先は在宅で仕事のできる環境で、心身ともに負担が少なくて正直、このままいける所までいきたい気持ちがある。

去年の9月から、お小遣い稼ぎ程度に週2くらいなら副業も出来そうだな、という軽い気持ちで夜の3時間×週2OKのバイトを始めたのだが、それから現在、既に辞めたい。

 

理由としては実際、行き始めてみて家から遠いし、本業の出社日とかぶると結構ギリギリ(残業をしたら多分今後、間に合わない)なのと、普通に最低賃金の割に仕事が多い。

書き出してみるとまぁ、やる前から大体は分かるだろ…という話ではあるのだが、いつもやり出してから「ああ…そうだったよ…」と思い出す。割とその時の勢いだけでとりあえずやってみるタイプなのだ。

本業の派遣は、働かないとそもそもご飯が食べていけない…つまりライスワークとして現在はとても大事なメインの仕事なのだが、プラスで何かするのであれば副業は時間・場所にとらわれ過ぎる事はやめたいな、と思って数年前もチェーンのうどん屋さんでの副業を辞めたことを思い出した。

 

私は現在、子供部屋おばさんでもあるのだが、あまり親との関係は良好とは言えず、年内には再び独立しようと思っている。

そのためにも今は1円でも貯蓄は多く増やしたい、という気持ちが先行してまた後先考えずに「やったことないジャンルのバイトだし応募してみよう」なんていう気持ちで始めてしまったのだ。

 

9月からこの副業バイトを始めて早5ヵ月が経とうとしていて、正直業務内容にも慣れてはきたのだが、もう年度末くらいで辞めようかなと思っていた矢先に同じ時間帯の学生バイトが二人退職することになった。

一人は前々から分かっていたのだが、まさかのもう一人…だと…!!

ただでさえ一番人が少ない時間帯で入っているので、なんか言い出しにくい雰囲気になってきた。盛り上がって参りました。

 

そしてここ最近は、出勤の度にベテラン主婦パートからの「MIYUKIさん、もっとシフト入れない?」という圧力がかけられるようになった。

いやいや、内心もう辞めると決意してますから…とも言えず「ちょっと難しいですね」と濁してはいるのだが、そのたびに常々思う事がある。

シフトに入れないかと、社員が言ってくるのならまだ分かるのだが、日本のベテランパートさんたちそんなに張り切らなくて良いのだよ、という気持ちにもなってしまう。

バイトでもなんでも、決められた時間はきちんとルールを守って働くべきだとは私も思うが、やらなくてはいけない以上のことを率先してやり過ぎている感をどうしても私は感じてしまうのだ。

「もっとシフトに入ってくれたら社員さんが喜ぶ」と言われても、別に誰かの機嫌をとりたくて働いている訳ではないし、それなら本人たちがそう頼むべきなのではないだろうか。それに人不足は最低賃金の割に結構忙しいから入ってくる人がいないのであって、バイトが気にすることではなく、会社の問題として見直すべきことではないのか。

 

以前の20代半ばくらいまでの私は、自分が多少無理をすれば良いのだ、という働き方をしていたのだが、結局それをしたらそれくらいやってくれて当たり前となっていることに気づいたのだ。ましてや自分が心身ともにすり減って体調を崩しても誰も何もしてくれないし、メンタルの復活までも非常に長い時間がかかってしまう。

そこまで自己犠牲の気持ちは持ち合わせていないし、今は自分が一番大切だから自分がどうしたいか、に重きをおいて生きることにしている。

 

どのみち、子供部屋おばさんを卒業するまでの期間しかこの副業をするつもりはないので、予定通り年度末…続けても5月頃には辞めると決めた。

トンネルのむこうは、マルチの世界でした

こんにちは、MIYUKIです。

 

タイトルの通りなのだけど、私が数年前に体験したマルチ勧誘の話を書こうと思う。

噂で聞いたり、人づてに話を聞いたことはあったけどまさか自分が遭遇するとは思っていなかったから、人生って何があるか分からないし、おもしろすぎる。

 

数年前、私は新しいことを始めようとアロマオイルの教室へ行くことにした。

※実際にはアロマオイルの教室ではないのだがそこはボカして書きます。

 

月2回ほどのレクチャーが半年続くコースで、安くはないお金も一括前金で全て支払ったので「さあ、やるぞ!」と意気込んでいた。

最初にお試し体験をさせてもらったときに、割と的確に分かりやすくアドバイスをくれるので続けていけそうだな、と感じて半年後にどうなっているのかワクワクしていた。

 

最初のうちは通うのも、出される課題を深堀していくのも楽しく感じていたのだが、始めたばかりの段階で少し、疑問に思うことが出てきた。

やたら金の話ばっかりしてくるな?ということ。

 

「もっと稼ぎたいと思わないか」「どんな暮らしをしたいか」「毎月どのくらいお金があれば嬉しいか」などなど

そりゃ、誰だってほとんどの人はお金はないよりあったほうがいいし、別にゴージャスでなくても良いけど貧しい暮らしよりも程々に、欲しい時に欲しいものが買える生活が良いだろう。

なので当然、そのように返事を返していたのだが正直、私は勘が鈍いほうではないので、ちょっと入る教室間違えたかもな…と最初の2~3回で薄々感じるようになっていた。

ただ安くはないお金も前払いであることと、途中で辞めても返金されないことを鑑みると、そこにも何か学べることがあるかもしれない…いけるところまで続けてみようと決めたのだった。

 

ある日。

普段はマンツーマンのような形で指導を受けているのだが、その日は教室に他の生徒さんも集まる日だと言われ、どんな仲間がいるのか緊張しつつ出向くと総勢7名くらいの方々がテーブルを囲んで集まっていた。

そこでアロマ講師の方がその中の一人に

「久しぶりに会った友達に、どうやって稼げる仕事があるよって紹介する?デモやってみて」

でっ…でたー!!!!!!!噂では聞いたことあるけど私は実際に遭遇することがないであろうと思っていたやつ、でたー!!!!!!

 

正直、第六感が働いたのか他にも人が集まると聞いた時点であまり良い気はしていなかったし、なんなら人が集まる=アロマオイル教室のお勉強ではない予感もこれまでのそこでの雰囲気ややりとりから感じていた気がする。

思わず笑いそうになってしまったがつまり、ここにいる全員マルチ信者なのだろう。

ここで一人、クスクス笑いでもしたら何されるか分からん…そう思った私は神妙な面持ちを作り、一人笑ってはいけないを開始することにした。

 

「あっ、久しぶりー!今何やってるの?」「これから来るオススメの仕事あるんだけど」「定期的に報酬がもらえて~」

本当に、TVやネットで見ている勧誘の方法が目の前で生で見られてある意味新鮮ではあった。

久しぶりに会った友人に、稼げるオススメの仕事を紹介するという設定のようだが、久しぶりに会って楽しく話せると思ってこんなノリで来られたら秒で帰るかな、私は。

 

ただ、そこではこんなに稼げるのにキケンだとか怪しいだとかいう人は思考停止の情報弱者のような言い方で見下している感じを受けたので、もうただこの時間がさっさと終われば良いのにと感じた。確か当時、途中で用事が出来たと言って帰った記憶がある。

 

ちなみにそこで信仰…熱狂的に活動されていたのが現在は業務停止しているMLM

一応、社名は伏せておくがオーナーは過去に別のMLM詐欺で逮捕されている経歴もあるので、少し自分で調べれば入るべきかどうかは判断できると思う。

現在、そこのHPにアクセスしても業務を停止せざるを得ない状況~的なことが出てくるだけで、実質これが「飛んだ」というものなのだろう。

 

その後、無事に半年が経ち私も教室を卒業できたので直感的に嫌だと思うものからは離れることにした。

そうして落ち着いた頃に、このMLMに関わった人たちの投資詐欺の逮捕ニュースなども見るようになっていたので、ここの教室で参加していた人たちはどのくらい元を取れたのかな?というのは気になった。絶対に損をしないビジネスということだったが。

 

正直、行くたびにアロマとは関係ない金の話が70%くらいなので体調不良に悩むレベルではあったのだが、一応知識はついたし色んな側面から世の中のお勉強だという気持ちで最後まで行って偉かったよ、自分。

ここには書いていないが、当然MLMに私を入れるべく何度も色んな威圧的な態度にも遭遇したが、結果的に自分を信じて良かったと思うし、自信になった。

 

「何か新しいことを始めたい」この自分の欲求は素晴らしいし新しいことを学びたい意欲があるのも凄く自分の強みだと思っているのだけど。もう少し丁寧に、時間をかけて自分に合った学びの場所を探すべきではあったと思う。

決めたら速攻はーい、やります!!っていう持ち前の行動力は時に武器にはならないことを知る。

 

この時期はもう一つお金を無駄にしたことがあって、スポーツインストラクター系の資格を取ろうと某教室に入学したのは良いが様々な要因が重なり、通い続けるのがストレスになって途中で辞めてしまったのだ。

こちらも探せばいくらでも教室はあるのに、最終的に金額の安さで選んだことが結果的に非常にアンマッチな学びの場を選んでしまった。

辞めてホッとしたので後悔はないのだが、アロマ教室とスポーツイントラの教室、合計で支払ったお金を考えると一ヵ月くらい豪華な海外旅行出来たんじゃない?と発狂しそうにはなる笑

ボーナスのない派遣社員の自分が、それ以前のフルタイムパート時代と合わせてコツコツ貯金してきたお金がその半年~一年の間に一瞬で消えた。

 

しかし今は、どちらも人生の途中でちょっとだけ「経験してみた」と思うことにしている。

たくさん行動する分、人よりアクシデントにも見舞われるけどその分良い事にも遭遇している気がするし、よくよく考えたら失ったのはお金だけで、あとは人生の濃さとして積み重なっている気がするし。

 

また、コツコツ貯金しましょ。

 

SNSって、そういうところ

こんにちは、MIYUKIです。

 

少し前、ツイッターでフォローしていた方とラインでのやりとりをした時の体験談を書いてみる。

その方はそこそこのフォロワーさんがいて個人でも稼げるようになろう、と二足の草鞋で生計を立てている女性だった。またブログに書いてある内容も分かりやすく、読んでいてスッと頭に入ってくるので「さすが、文章力もあるなぁ…」と感心しつつ、私自身も色んなスキルを習得したくて行動しているので、今後の自分の視野を広げるといった意味でもメルマガ登録をしてみようと思い登録をしてみたのだった。

 

どういった目標があるのかなど何ターンか実際にやりとりをさせてもらい、なんとなく文章の感じから違和感はあったのだが、まぁ気のせいだろう…と(今思えば気のせいであれば良いなという自分の願望もあったのだろうが)連絡を続けていると、より詳細をお話するために電話で連絡をしたいとの返信が。

どうやら、電話をするのはご本人ではなくその関係者ということであったが、仮にこれが怪しい高額商材の販売であったとしても通話するだけで請求が来ることはまずないので、なんでも経験だ!(ブログのネタにもなるし)と思い、電話してみようと連絡を続けた。

そして日程が決まった時、私の違和感が確信に変わる一文が。

 

僕も通話には同席させていただきます。

 

…ぼ…く…?

((違和感これだー笑))

 

連絡をしていくなかで、文章から伝わる雰囲気が女性のそれとは違うような感じは受けていた。ただ、場合によってはこういう人もいるのかもしれない、と私の偏見でジャッジすることはやめようという気持ちもあったのだが、自分でいうのもおかしいかもしれないが「変だな」と思う時の私の勘は大体当たっているのだ。

数十年前、小学校低学年の頃。親が不在の時に電話がかかってきて、大人の男の声で「小学校関係のなんちゃら~かんちゃら~で、連絡網の番号分かりますか?」と会社員風なのだが、これは同級生の番号を聞き出そうとしているな、という電話があった。当時、私はまだ7~8歳だったと思うのだが何か気持ち悪いな、変だなと思い「分かりません」を連発して電話を切った記憶がある。後に、当時そういう内容の不審な電話が続いているので気をつけてくださいと学校からの連絡があり「あーあれだったんだな、良かった。」と思った記憶が今でも鮮明に残っている。

話は逸れたが、少しでも変だなと違和感を感じたら多分自分を信じて良いし、私はそのレーダーも結構鋭いほうだなと自負している。

 

決定的なところで嘘をつかれていたと分かったので電話をする気もなくなり、適当な理由をつけて断りを入れた。

もしかしたら「ぼくッ子お姉さん」の可能性も捨てきれないが、まぁまずないであろう。だとしたら、TPOはわきまえて欲しいし。

 

昔から言われていることだけど稼げる話は他人にしないよね。

例えばブログ界隈であれば、有名な方々がブログを収益化させるためのプロセスは丁寧に教えてくれていたりするけど「絶対に稼げる」とか「ラクして稼げる」と書いている人は一人も見たことがない。どの人も地道に泥臭い下積みがあって、最初は会社員をしながら朝晩や空き時間でひたすら記事を書き続けた、という人ばかりだと思う。

 

これだけ情報が錯綜している時代…フェイクニュースも本当であるかのように扱われてしまう時代の中で、いかに自分が真実を見極められるかはかなり重要だ。

 

数年前に経験したマルチ勧誘といい、息を吐くように平然と嘘をつける人に触れるとどっと疲れるなぁ、と思うが人生のネタ帳が増えたと思えばこれも経験なのかもしれない。

 

腹腔鏡下子宮筋腫核出術を受けました④

こんにちは、MIYUKIです。

での術後、寝たきりのために腰が痛すぎて縫った部分とは全く関係のない、寝たきりによる腰痛と耐えながら一夜を明かした。

 

術後一日目

朝の6:30頃から水を飲む練習をするべく、看護師さんにベッドの角度を起こしてもらえることに。「おっ、まだいける?!」と言われるくらい角度を起こしてもらったのは、もう腰痛が限界突破していたから違う体勢をとりたかったというのもあったのだが、座りの体勢になれてホッとした…。

昨日の朝から絶飲絶食をしていたため、丁度24時間ぶりくらいに水を飲むことが出来た。

もっとカラカラに渇いていたらどうしようと思っていたのだがそこまで酷く喉が渇いた感覚はなく、口の中が若干パサついていた程度だった。それよりも空腹感のほうがかなり強め…回復しているということだろうか。カーテン越しに他の入院患者さんたちに食事が配膳される音を聞き、耐え忍んだ。

 

昨日の手術から目覚めた時点で尿カテと点滴とお腹の傷口に通している管と色んな管をつけていたのだが、お昼前には歩く練習を始めるということで、その時に自力で歩けるようであれば尿カテは外せるということだった。

 

そしてお昼少し前にゆっくりと立ち上がり、その場で何度か足踏みをして多分大丈夫だと思えたので看護師さんと病棟の廊下を歩いてみることに。

普段は週3~4で筋トレもしているし、体力にはそこそこ自信があった私がこの時の歩きはノソノソとしたゆっくりな動きしかできなかった。猫背でいないと傷口も痛いし、ゾンビに感染したのかという緩慢な歩きしかできない。

歩きながら点滴スタンドも持って転がしていて、一日にして自分がこんなにも弱くなってしまったのかとなんだか少し悔しいような情けないような気持ちも込み上げてきた。

でも、体が弱った立場にならないとその大変さにも本当の意味で気づくことはなかっただろうしこれから何十年先、老いた時はこのノロノロとした動作が日常になるのかもしれない、とも考えた。

 

歩行にも問題がなさそうだったので、ここで尿カテとはお別れ。

トイレに行かずとも自動で尿が流れるシステム…人生でそう何度も経験したくはないけど考えた人凄いな…と感心する。

ただやっぱり、自力で排尿できた瞬間はそれすらもありがたい事だと思えた。

 

昼食は一日半ぶりの食事、美味し過ぎてもちろん完食。


手術からまだ一日しか経っていないため、正直そこまで凄く元気!という訳ではなかったのだが前日の腰痛がトラウマで、なるべく昼間は寝る事なく過ごそうと思い、ベッドもほぼ直角に起こして読書やTVを見て過ごした。

 

術後二日目

翌日には更に、自分でも回復してきているなと感じられた。

まだ猫背気味にしないと歩行はつらいが、昨日よりもしっかりとした足取りなのが分かるし、朝から歩くリハビリを兼ねて歯磨きをしに行ったり、なるべく動くことを意識した。昨晩から少しお腹が張っていて苦しさもありトイレに入ってみるのだが、まださすがに怖くて腹部に力を入れられず…といったところ。

いらないものが取れて精神的にもスッキリしたのか、医療者の方々に優しくしてもらって人の優しさに触れたこともあってか、何か新しいことを始めてみたいな…という気持ちにもなってきた。

 

術後三日目

日に日に回復しているのが身をもって分かる。

腹筋に力を入れたりする瞬間(起き上がる時など)は痛いが、ただ座ったり横になっている分にはほぼ何の問題もなく過ごせた。

午前中に縫った傷の経過をチェックしてもらい、OKが出たので本日から入浴可能に。実に三日ぶりのシャワーである。潔癖なほうなので、記憶にある限りこれほどシャワーをしない人生は初めてだった。頭も天然オイルによってペッタリとしていたので一度のシャンプーでは泡立たず、二度よく洗った。スッキリ…!!

 

その後、お昼前には術後最初の診察があり、手術中の写真を見せてもらった。自分の体の中はこんな感じなんだ…と不思議な感覚を持ちつつも「これはなんですか?」と画像を見て説明を聞きながら写真も撮らせてもらった。

筋腫自体はそれほど大きいものではなかったのだけど、元々から予定していた一つと、更には欠片のようなまだ小さい筋腫も肉眼で確認して摘出してくれたそうだ。

写真で取れた筋腫をみた瞬間(麻酔から覚めた後にも実物を見せてもらったが記憶が曖昧)いらないものが体内から抜けていったような感じがして生まれ変わったような気分になった。改めて、このような手術をやってのけるだなんて凄い仕事だな…と先生に対しても感謝の気持ちを伝えた。

 

この日は入院中に読もうと購入しておいた本を一日で読破。

自分の気持ちを書くこと、これはとても大切なのだと再確認できた。

何より私の中で響いた一文が

変りたいのではなく今の自分を好きでいたい

これを読んだ瞬間、ハッとして思わずほぼ日手帳にメモをした。

時々、読み返したい作品の仲間入り決定。

 

入院から五日目、術後三日目の本日。

丸一日病院で過ごす日はこの日が最終日だった。

多少の痛みを感じる以外、ほぼ回復してきているので早く外に出たい、という気持ちが日に日に大きくなっていき、ついに明日には退院だ…という安堵感とともに就寝。

 

術後四日目(退院日)

ついに退院の日を迎えた。

朝ごはんを食べたあと、もういつでも支度が出来ればOKという事だったので早めに荷物をまとめて病院を出る準備をした。

約一週間、お世話になった病棟を出るときに最初の入院手続きでお世話になった看護師さん二人が偶然いらっしゃったのでご挨拶。

この日は日曜日だったので外来もお休みで、ガランとした大きな病院の中で自分だけがキャリーケースを引いて廊下を歩く感覚は、久しぶりのシャバで自分だけがタイムスリックしたかのような、取り残されたような不思議な気持ちだった。

 

術後すぐの体調からすると、人間ってこんなにも回復する力があるんだ…というくらい元気になっている気はしたのだけど、退院後の過ごし方の指導としては2F以上はエレベーターを使う、浴槽には浸からない、激しい運動もしないなど、次の診察でOKが出るまではまだまだ安静にマイペースに、ということであった。

 

傷跡よりも何よりも入院前はうっすらと割れていた腹筋が、腹腔鏡のガスの影響か下っ腹がブヨンと出てしまっているのが気になる所ではあるけれど、これは少しずつ戻していくとしよう。

 

この日の午後は一週間ほど我慢していたスイーツを食べに行った。

好きな時に好きなことが出来る、食べられる幸せを実感。

 

今後も、入院・手術はなるべく経験せずに生活していきたいけれど、自分が弱ることで人の事を考えるキッカケにもなったし自分が経験しないと本当の意味では理解できないことも多いのかもな、と感じた日々。また一つ、経験値がUPした。

 

おわり

 

腹腔鏡下子宮筋腫核出術を受けました③

こんにちは、MIYUKIです。

これまでで入院までの流れを書いてきたのだけど、今回は入院中のことについて書いてみようと思う。

 

入院日当日。今後、一週間ほどは食べたいものが食べられないだろうからと妹がランチにお寿司を奢ったくれた。

美味しいし余裕で食べられるわ~と思ったけど結構ボリュームがあって、意地で完食した。32歳、全盛期に比べて胃袋の衰えを実感。

その足で病院まで送ってもらい、入院の手続きを済ませて病棟へ。

これまでの人生で〇〇科、などにはお世話になったことはあるけれど入院病棟へ足を踏み入れるのは初めてで緊張はしているものの「へぇ~こんな感じなんだ…」という気持ちもありキョロキョロしてしまった。

 

そして病棟で入院の時間の説明を受けたのだが、私の手術時間はなんと明日のトップバッター

うわ…もうすぐじゃん…とここで突然、現実的に迫ってくる感じがするものの、トップバッターで早く終わらせたほうがこの不安な気持ちともおさらばできるし逆に良い事ななのかもしれないと、発想を変えてみた。それでも怖いは怖いけど。

 

病室には患者以外入れないので妹とも今日はそこで一旦別れ、自分のベッドへ案内された。人生初めての入院、病室のベッドを見た感想は明るい!キレイ!怖くない!といった感じ。

想像力の豊かすぎる私は、もっとホラー映画とかで蛍光灯が消えかかっているような、パチパチパチンっみたいな薄暗さを想像していたのだけど絶対、今時LEDだよね笑

とても清潔で明るいし、私がバンギャル時代、地方で宿泊するときにたまに使用していたカプセルホテルみたいな雰囲気がした。それよりもスペースも広くて快適だし。

 

持ってきた荷物を取り出しやすいように配置して、少ししてから執刀医の診察と麻酔科の問診を受けた。

この日はそれ以外、特に何かをする予定もなかったので後はフリータイムといった感じなのだが、コロナの影響で院内といえどウロウロと出歩くことは出来なかったので、読書をしたり手帳を書いたり、PC持ち込みもOKだったので海外ドラマを視聴したりと割と気ままに過ごせた。

病室入る前にコンビニコーヒー飲みたかったな…

 

そういえば、この入院に合わせてイヤホンを買おうと思い(TV見たりする用)、結果的に購入したのがヘッドホンなのだが、低価格なのに音質がとても良かったのでかなりオススメしたい。

 

 

色も種類豊富で、3千円台でこんな音質のものが買えるのか…と、ヘッドホンを購入するのが初めての自分にはなかなか衝撃的だった。

 

人生初の入院食(夕飯)

巷では病院食は美味しくない、なんて聞くから実際のところどうなのかなと思っていたが、バランスも取れているし味付けは薄めだけど美味しかった。

本日の21時より絶食なので、次にご飯が食べられるのは明後日のお昼から。今日の分はしっかりと完食した。

さらに明日の朝6時半からは+絶飲ということで何も口にできなくなるため、今のうちに多めに水を飲んでおくことにした。

夕飯後に下剤を処方されたのでそれも服用したのだが、手術前後の説明のパンフレットを読んでいると手術した当日はお手洗いに行けないため、便意があれば寝たままという一文が目に入った。何がなんでも、明日の朝は快便でなくてはならない…これは命令だ!!そう思いながら就寝した。

 

そして手術当日。

 

絶飲時間ピッタリくらいまで水を飲み、早朝にシャワーを浴びて手術着に着替え、看護師さんと一緒に自分の足で手術室へ向かった。お手洗いにもきちんと行った。

手術室は医療ドラマで見たくらいの知識しかないのだが、本当に手を触れなくても全てのドアが開く作りになっていた。

まず名前などの確認事項があり、この時点から緊張で心拍数が高くなっていく実感があった。

そして自分の足で手術台に乗って横たわり、複数人の方々にチューブやら心臓のパッドやら、テキパキと体に装着されていった。この時点で私の心拍数がモニターでチェックできるのだろう、私があまりにドキドキしていたからか女性の方が緊張を和らげるように話しかけてくれたのがとても印象に残っている。ありがとう。

 

麻酔科医「麻酔、効いてきた感じあるかな?」

私「(ちょっとボーっとするかも)はい…」

 

と言ったところで記憶は途切れ、目覚めた記憶があるのは手術が全て終わり、ベッドに横たわり病院の廊下を移動している時だった。

なんとなく聞いたことはあるけど、本当に寝ている間に全てが終わっていた…凄い何これ…!!

時空を超えたのかと思うくらい、間の記憶がごっそりとないのが不思議だった。

ただ、まだ完全に麻酔から目覚めた訳ではなさそうで、この時点では体がだるいような眠いような感じがあり、次に目覚めたのは自分の病室に戻ってしばらくしてからだった。14時前くらいだったと思う。

 

この日は目覚めたからといって動けず、手元に置いたスマホと小説を交互にいじったり読んだりして過ごした。その間も看護師さんが様子を見に来てくれて体温や血圧などを測定してくれた。

のんびりと過ごしているうちに気付いたら夕飯の時間帯になっていたのだが、朝一での手術だったため、夕飯時には普通にお腹が空いてきてしまった…健康過ぎるだろ私。

ただし、本日は絶飲絶食。

飲み物はギリギリまで飲んでいたからかそこまで渇きを感じることはなかったのだが、配膳されている様子がカーテン越しに音で分かるので食べたい…何か食べたい…と思いつつもただ耐えた。

 

とりあえず食べ物から気分をまぎらわそうと、手術日当日なのに大好きな番組「有吉の壁」を見てしまったことにより、笑いに耐えないと傷口が爆発するぞ、という新たな地獄が爆誕。面白いから見たい、でも笑ったら終わる、という状況を15分くらいは過ごした。しかし笑いに耐える時に腹筋を締めるように息をするだけでも痛いので、さすがに途中でチャンネルを変えた。

 

そして消灯時間になったのだが、薄々感じていた事がピークになってきた…

腰がバカ痛い

朝からずっと寝たきりで過ごしたことなんて多分、赤子の時以来じゃないだろうか…経験したことないくらい、ただ腰が痛い

出来る範囲で寝る姿勢は変えて良いと言われていたので、手すりに掴まりながら腕の力だけで横向きになったり、色々と工夫してみたのだが気休めにもならなかった。本当に砕けるかと思うくらい腰が痛い

お尻が出ていて反り腰気味なのも原因かもしれないが、もうどうしようもないくらいに腰が痛くて、この時点では手術した部分もよりも断然、関係のない腰が激痛過ぎてこれには参ってしまったので、夜中に見回りに来てくれた看護師さんに気持ち程度で良いからベッドを起こしても良いかとお願いしたほど。

明日、ベッドを起こして水を飲む練習をするまでまだ何時間もある。「少しだけなら大丈夫ですよ」と言ってくれた看護師さんが神様に思えた。

 

体勢が大分変わり、いくらかラクに夜を過ごすことができたのだった。

早く立ち上がりたいな…と思いながら病院で過ごす二日目、手術当日が終了した。

 

④へつづく

腹腔鏡下子宮筋腫核出術を受けました②

こんにちは、MIYUKIです。

に引き続き、今月上旬に手術をした子宮筋腫について綴っていくよ。

 

いつも行っている婦人科から紹介状を書いてもらい、大学病院で入院&手術の面倒をみてもらうことになった。

私の場合は粘膜下筋腫という子宮内に出来ている筋腫なので唯一、子宮から電気メスを入れて筋腫を削り取る、子宮鏡下手術という手法が使えるとネットの知識で取り入れていたので、これについても聞いてみた。ちなみに、この手術であれば入院期間もかなり短く済むらしい。

 

その結果、私の筋腫は子宮壁に食い込んでいるので壁ギリギリにあり、削っている途中で仮に穴が開いてしまった場合、結局開腹して縫わなければいけなくなる可能性も高く、腹腔鏡のほうがより確実だと説明を受けた。

確かにMRIの画像を見るとキワキワにある感じなので、リスクがあるほうを選ぶ必要もないな…と、それならばと腹腔鏡でお願いすることにした。

ちなみに腹腔鏡下子宮筋腫核出術だと手術の前日から入院して翌日に手術、そのあと4日間は入院するので特に問題がなければ合計6日間の入院生活とのこと。

 

手術の日程も決めて入院の準備をしながら、その他にやっておくこと(主に金銭面に関わる)は大体3つに分けてこんな感じだった。

 

限度額適用認定証の申請

これは、それぞれが加入している健康保険の所属支部に申請書を出して認定証を受け取れるというもの。

入院前にこれを申請しておくと、毎月のお給料から月の限度額(医療費の)を計算してくれて、それ以上は窓口負担がありませんよ、という有難いシステム。

ちなみに、これを申請し忘れると一旦、通常の負担額ですべてを請求されてしまうのだが、高額療養費制度で後日、払い過ぎている分を計算して戻してもらえるので結果としてはどちらが得とかそういう事はなくどちらでも同じ額になるそうだ。

ただ、入院することが分かっているのであれば、限度額適用認定証をあらかじめ申請しておいたほうが安心かもしれない。

 

県民共済に必要書類を送ってもらう

加入しているのであれば、県民共済にあらかじめ電話して「こういう手術を受ける予定があるので申請するための書類が欲しい」とお願いをしておいたほうが安心だ。

術後よりも元気に動けるうちに必要なことは済ませておいて、あとは退院後に必要書類を書いて送るだけという状態にしておいたほうが、心身ともに後の負担も少ないと思われる。

早めに行動していたおかげで後日、すぐに申請書類も送る事ができて振り込まれるまでの流れもとてもスムーズで助かったのでこちらも入院・手術が確定しているのであれば、早めに準備しておくとベストだ。

 

入院中の小銭・千円札の準備

これは病院によって体制が違うので自身がお世話になる病院へ確認したほうが確実ではあるが、私が入院をした病院ではまだ、コロナの感染対策的な意味合いでも院内全てを自由に出歩ける訳ではなく、行動範囲は自分の病棟のみということだった。

なのでお見舞いや付き添いなども制限がかかっており、買い物やお金を使う場所といえば自販機かTVカード、洗濯機&乾燥機、販売ワゴンくらいしかなかったのでほぼ100円か千円札くらいしか使うこともなかった。万札を使う機会はないし、大きなお金を持っている必要もないため、くずしたお金があると使いやすいだろう。

※ちなみに、私の場合は6日間の入院で3~4千円くらいの使用だった。

 

手術当日までの日々は少し期間があったので、大丈夫だろうかという漠然とした不安と、これで生理痛も軽くなって毎月震えるような痛みが消えるなら万々歳だ!という気持ちと、日によって両極端に行ったり来たりする時もあった。

ただ、解決できる方法が分かっているのなら、心配ごとは少ないほうが良いのだ。

 

そして病院へ向かう当日を迎えた。

 

③へつづく

腹腔鏡下子宮筋腫核出術を受けました①

こんにちは、MIYUKIです。

 

今回はタイトルの通りなのだがつい先日、三十数年生きてきて初めての入院&手術という、割と個人的には大きなライフイベントがあった。

8月上旬の6日間は入院していて、今年の夏休みは入院&手術で終了したのだけど先に結論から言うと今の段階ではやって良かったという気持ちしかない。

 

色んな人と話していても「私もあるよ!」と聞くし、子宮筋腫を持っている女性は割と多く30代以上の4人に1人は出来るらしいので、同じ手術を受ける人のお役に立てれば嬉しいなと思って記憶が新鮮なうちに何回かに分けて私の体験談を綴ってみる。

 

子宮筋腫が見つかったのは去年の夏ごろだった。

元々、生理が始まった10代の頃から腹痛とはずっと付き合ってきたので、毎月「まぁ、こんなもんだろう…」と思いつつ、痛みが強い時は市販薬を飲み、長い事過ごしてきたのだが、30代に突入して去年の春先くらいから我慢できないくらいの痛みが出てくるようになった。

 

時にはお尻から突き上げるような痛みがあり、痛みがピークの時は汗がじんわり出てきて歩けないくらいのレベルに。しかも、市販薬が効かないことも多かった。

このままでは毎月仕事にも支障が出るし、何より閉経するまでこんな痛みに付き合うのは無理過ぎる…!!

 

それまで婦人科とは縁のない人生を送ってきたからかなり勇気が必要だったのだけど、こんなに普通ではないレベルの痛みが出てきて、もし何か手遅れの病気が隠れていたら自分を恨むな…と思った私はこれも良い機会だと気持ちを切り替え、初めて婦人科を受診したのだった。

 

「あー…これは取ってしまったほうが良いかもよ」

 

第一声、婦人科の女医さんにそう言われた。

 

大体、4cmほどの子宮筋腫があるとのことだった。

子宮の中か外か子宮壁の中か。筋腫の位置によって名称が変わるのだけど、私の場合は子宮の中にあるタイプの粘膜下筋腫という種類のもので、これは全体の5~10%くらいで一番珍しく、かつここに出来てしまうと筋腫の大きさは関係なく強い月経痛や過多月経の原因にもなってくるそうだ。何それ、、一番厄介なやつじゃん。

 

厳密に言うと、この女医さんの病院へ来る前にそこそこ口コミ評価の高かったクリニックで受診したのだが、私には合わない先生だったので自分で探して相性の合う先生を見つけたのだ。

個人的に思うのが、婦人科は特に言いづらい事も伝えないといけない場面もあり、女性であれば今後も長く付き合っていく場所だと思うので、自分に合う先生が見つかるまで根気よく探したほうが良いと思う。

 

なにはともあれ毎月の激痛の原因が判明し、少しホッとした自分がいた。

 

ただ去年のその時点では、手術というものがあまりにも大きな事=恐怖という認識が強く「とりあえず薬で様子見ます…」と、どうにかやらない方向でうまく逃れたいという気持ちのほうが自分の中では勝っていたのだが、派遣先を変えて在宅勤務がメインの仕事に移行してからはいずれやるのなら今やってしまおうという気持ちに変化していった。

今は病院の処方で毎月の痛みとはおさらばしているけど、根本的に治療しないとずっとこのままだよね…と、自分のことだから後回し的な発想をやめて自分のことだから一番に考えてあげようと決めたのだった。

ずっと心配しながら生活するよりも、心配事を減らしたほうが絶対に良いからね。

 

去年の夏に子宮筋腫が見つかってから実に一年近くが経過していたが、その間に筋腫が大きくなることもなく少しホッとした自分もいた。

そして今年に入ってから大きい病院に紹介状を書いてもらい、そこで手術をすることに決めたのだった。

 

につづく